留学生として日本に引っ越す
日本への引っ越しは、私自身の経験からするとジェットコースターに乗っているようでした。私は、日出ずる国(日本)に初めて上陸したときのまろやかで不安な経験を覚えています。 身の回り品や必需品をぎっしり詰め込んだ大きなスーツケース2つと軽いバックパック1つを持って空港に降り立った私は、これから留学生になることにとても興奮していました。私は初めて新幹線に乗りましたが、すべてが輝いて見え、新しく、興味深いものでした。 新幹線が池袋の近くを走っているとき車窓から、木々や小さなかわいい家や近代的な街の風景を垣間見ることができました。
初めて、サイゼリヤ、スシロー、ガストなどの有名で手頃な価格のレストランチェーンで日本食を試してみました。正直なところ、最初の数日間は何を食べても口の中がとろけるほど美味しいと感じました。 私は新しい味が大好きで、何を食べても新鮮な喜びがありました。 醤油の優しい甘みと酸味、そして微妙に手が加えられたわさびは絶妙です。しかしながらこの状態はまさにハネムーンの段階にあるようで、それほど長くは続きませんでした。
すぐに授業が始まり、数週間が過ぎました。 誇張と興奮が消えていくのを感じることができました。 こうしてフラストレーションの段階が始まりました。 私を悩ませたひとつは、ゴミの分別です。 可燃ごみ、プラスチック、ダンボールの出し方がわかりませんでした。 当時、周りの人は私が悪態をついているのをよく見かけたかも知れません。 言語自体をほとんど理解していないので、コンビニや食料品店に行くのも私にとっては非常に奇異な感じでした.。どんなに動きを予測して準備しようとしても、レジ係とはいつも奇妙なやり取りになりました。 食料品を手に入れるのが難しいこともありました。第一に外見を区別する方法がわからず、第二に自分の国の特定の料理に必要な材料や調味料を見つけることができませんでした。入国当初に抱いた、すべてが輝いていて、新しく、興味深い感覚はなくなりました。 醤油とワサビは退屈でまんねりなものになっていきました。
1、2 か月後、大方のことは理解できるようになってきました。 私は大学で日本語の授業を受け、YouTubeのビデオを見て日本の生活ルールを理解し、以前に経験した様々な困難について友達と笑い合えるようにまでなりました。 やっとゴミの分別、ごみ捨てスケジュールに慣れてきました。 また、やっとコンビニやスーパーの店員さんともちゃんと話ができるようになりました。 丁寧に、私のつたない言い方で、「いくらですか?」「どこですか?」 そして「ありがとうございます」「だいじょうぶです」と言えるようになりました。 一方で、母国にあるすべての調味料と食材が揃っている小さな店を見つけることができました.。やっとここでの生活に慣れてきました。 自然にそうなったというよりも、むしろ、あらゆる場面でほんの少しの努力が必要でした.。でも、同じような境遇の仲間がいたので、理解は少し早かったかも知れません。
初来日から1 年を経過した現在、日本に来た当初の数日、数週間、数か月を振り返ると、今は違う世界にいるような感じがします。今まさにコンビニでアルバイトをしているのですが、以前はとても神経質になっていましたが、今は日常生活に必要な日本語はある程度話せますし、以前よりも日本社会のルールについて理解しています。それでも、まだ学ぶべきことがたくさんあることは承知しています。私はそれが学習プロセスであることを理解しており、適応することに対してまったく恐れていません。過去において私の前に立ちはだかったハードルは必然的に私を変え、私にとって良かったことなんだと、はっきり言うことができます。私は確かに、以前よりもはるかに変化や困難に対して心を開いています。新婚旅行、フラストレーション、適応、受容の段階は、新しい国に移住する人なら誰もが予期される典型的な段階ですが、何度もやり直し、経験を積んだ私には、これらの段階がスリリングであり、憂鬱でもあり、また時には圧倒されるようなことであり、今はこれら全てが必要な流れであることが理解できます。すべての留学生は、成長のためにこの道をたどるべきです。このあいだ、わたしはプロテインバーを会計するために列に並んで待っていました.。私の前で、おそらく留学生である若い女性がレジ係に商品を渡そうとしている時に震えているのを見えました。彼女はいくつかのコインを落としてしまいました。それは仕方がないことです。彼女にも学ぶべきことがたくさんあります。